四万十市議会 2022-03-10 03月10日-03号
私の2003年、地震対策の一般質問の中で、過去の教訓が生かされた2つの例として、2000年10月、震度6強の強烈な鳥取県西部地震は、1995年の阪神・淡路大震災とほぼ規模は同じであったにもかかわらず、犠牲者はゼロだった。それは、南海地震の3年前、1943年の鳥取地震で1,000人を超える死者の教訓が生かされた。
私の2003年、地震対策の一般質問の中で、過去の教訓が生かされた2つの例として、2000年10月、震度6強の強烈な鳥取県西部地震は、1995年の阪神・淡路大震災とほぼ規模は同じであったにもかかわらず、犠牲者はゼロだった。それは、南海地震の3年前、1943年の鳥取地震で1,000人を超える死者の教訓が生かされた。
1995年に発生いたしました阪神・淡路大震災で大きな被害を受けました兵庫県の西宮市でございますけれども,被災者支援に係る様々な仕組みというものを独自にシステム化いたしまして,迅速かつ的確な支援につなげたという経験があるところでございますけれども,この被災者支援システムというのが,西宮市が被災者支援で構築したシステム,こういったものをベースにして開発されたものでございまして,汎用ウェブシステムということで
市街地火災といえば,平成7年1月17日の阪神・淡路大震災での神戸市を,また津波火災といえば,23年3月11日の東日本大震災での気仙沼市を思い浮かべるのではないでしょうか。
臨時災害放送局は,阪神・淡路大震災後の平成7年に制度化されたもので,洪水や地震などの災害発生時に,その被害を軽減するために,市町村が開設する臨時のFM放送局で,放送番組は被災地における被災者への支援及び救援活動等の円滑な実施を確保するために必要な範囲内のものとされております。
このシステムは,阪神・淡路大震災のときに被災者支援を目的に開発をされまして,災害時に被災者に義援金を支給した実績はもとより,平成21年のリーマン・ショックの際の定額給付金及び26年の臨時福祉給付金の支給事務に使われた実績もあります。
私も昔の阪神・淡路大震災を思い出して、少し高ぶって寝れなかった訳ですけど、いつ起こるか分からない南海トラフ大地震、また昨今の自然災害等々の脅威がありまして、いつどのような災害が発生するのか分からないような現状となっております。また、そういう災害が発生した場合、また災害が発生した後の復旧時の消防団としての役割というのは、どのようなものを市として考えられておられるのか、お聞きしたいと思います。
アマチュア無線の有効性は,阪神・淡路大震災や東日本大震災時に証明されています。このため,高知市の地域防災計画においても,アマチュア無線を活用した災害情報の収集体制を確立すると明記されています。高知県や土佐市,土佐町においてもアマチュア無線の活用がなされています。 そこで,防災対策部長にお伺いします。
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では,犠牲者は6,434人に及び,お亡くなりになられた方の8割以上が家屋の倒壊や家具等による圧迫死でした。 次の南海地震では,マグニチュード8以上の規模で発生し,多くの建物に被害が及ぶ震度5から6強という強い揺れが約100秒続くと想定されております。
町は、各自主防災単位ぐらいで、町がみずから足を運んで、例えば地区の集会所等で、阪神・淡路大震災では犠牲者の90%近い方が家屋の倒壊や家具の飛散で圧死をされておる、こういったこと。そして、耐震化に向けては、手厚い補助金や、そのほかにも代理受領を初め有利な制度が設けられていることなど、直接説明するなど、積極的な攻めの取り組みをすべきでないかと思うわけですが、これについて執行部の所見を伺います。
実際、阪神・淡路大震災では、7割弱が家族を含む自助、3割が隣人等の共助、公助による救出は数%に過ぎなかったという調査結果もございます。
私も少し体験を言わせてもらいますと、ちょっとそことは離れるんですが、20歳前後のときに、24、5年前です、兵庫県に住んでおりまして、阪神・淡路大震災に、被災はしてないんですけど、阪神・淡路大震災に遭遇いたしまして、私が住んでいる地域は震度5という震度だった訳ですけど、本当に地震が起こる前にすさまじい地鳴りといいますか、山鳴りといいますか、ごおっという音がして、その後非常に激しい揺れが来た訳ですけど、
今回、協定を結んだ大栄環境ホールディングス株式会社は、海上コンテナを使用し、船舶を用いて災害廃棄物の輸送が可能なため、市内で処理仕切れない廃棄物の運搬処理を迅速かつ効率よく行うことが可能であり、阪神・淡路大震災や熊本地震など近年に発生した大規模災害においての処理実績がございます。
そのような悲惨なテロが大変多発し、また同時に日本におきましては、阪神・淡路大震災また東日本大震災や本日で1年目を迎えます昨年の大阪北部地震、そして胆振東部、もう記憶に新しいだけでもかなり多くの地震がありました。
24年前には、思い出しましても早朝に阪神・淡路大震災が起こりまして、その首都直下型地震によりまして神戸の街なかが火の海になったのは記憶に新しいところであろうと思います。また、8年前には東日本大震災がありました。
阪神・淡路大震災でも孤児が68名,遺児が573名あります。 何が何でもこんなことはあってほしくはありませんけれども,南海トラフ地震でも起こり得ることは今のところ否定できません。突然保護者を亡くした子供たちへの支援が喫緊の課題になることは言うまでもありません。
本市においては75%と高まってきている状況にあり,南海トラフ地震の最悪の想定では,阪神・淡路大震災や熊本地震で発生した最大震度7という強い揺れが場所によっては3分以上も続くとともに,東日本大震災で発生したような高い津波が見込まれています。
また、阪神・淡路大震災や東日本震災を始め、まだ記憶に新しい昨年の西日本豪雨災害など、国難とも言うべき多くの自然災害にも見舞われ、安全神話が崩壊していく中、改めて一人ひとりの命の尊さを学び、安全・安心に暮らしていくためにはどうすればいいかを考えさせられる時代にもなりました。
自身も被災しながら被災者支援を行う職員のストレスについては、阪神・淡路大震災のころから指摘をされています。朝倉市の職員も発災後何日も家に帰らずほとんど眠ることもできずに災害復旧、被災者支援に当たったということで、精神的にダメージを受けた職員もいたと聞きました。
阪神・淡路大震災以後、東日本大震災、そして広島の土石流災害、熊本地震、大阪北部地震、西日本豪雨、先日は北海道の地震など、大規模な災害に見舞われ、数多くの尊い命が奪われてきました。 各地で記録的な大雨となった西日本豪雨では、ほぼ同時に広範囲で土砂災害や浸水被害が起こって、担当自治体では被害の把握や救助活動に追われ、混乱しました。
││ 阪神・淡路大震災では、災害時に生き延びた方々の原因の割合が「自助7割、共助││ 2割、公助1割」であったという数字が示されている。