立山町議会 2015-06-01 平成27年6月定例会 (第2号) 本文
自民党の元官房長官の野中広務さんは、テレビの「時事放談」で、安倍総理のはぐらかし答弁に、「わずかでもあの戦争に参加したことのある経験のある私があの姿を見ておって、死んでも死に切れない気持ちだ」と声を振り絞りました。 また、元自民党幹事長の古賀誠さんは、「アメリカといっしょに「後方支援」ということで地球の裏側までいけるようになる。恐ろしいことだ」と語りました。
自民党の元官房長官の野中広務さんは、テレビの「時事放談」で、安倍総理のはぐらかし答弁に、「わずかでもあの戦争に参加したことのある経験のある私があの姿を見ておって、死んでも死に切れない気持ちだ」と声を振り絞りました。 また、元自民党幹事長の古賀誠さんは、「アメリカといっしょに「後方支援」ということで地球の裏側までいけるようになる。恐ろしいことだ」と語りました。
古賀 誠元自民党幹事長、海部俊樹元首相、野中広務元自民党幹事長たちです。加藤紘一元自民党幹事長は、このまま突き進めば徴兵制の危険もあると指摘しております。安倍内閣は、もはや自民党政権というより、極右政党、軍国主義復活をたくらむ勢力に牛耳られている感があります。 世論調査でも過半数の人々が、集団的自衛権行使容認に反対の声を挙げております。
今後の予定として、平成28年4月には、前沢小学校と三日市小学校が新設統合する計画になっており、中学校は平成32年4月には、鷹施中学校と高志野中学校、宇奈月中学校と桜井中学校のそれぞれが統合し、高志野中学校と桜井中学校の校舎を利用した市内4中学校制から2中学校制への新設統合計画が進められております。
野中広務元官房長官は、「戦争はやりません、憲法は変えません、その思いを新たにするきょうであってほしい」と述べています。古賀元自民党幹事長が、現行憲法の「平和主義、主権在民、基本的人権という崇高な精神は尊重しなければならない」と述べていることも触れました。さらに、加藤紘一元自民党幹事長は、「戦後日本への信頼は憲法9条によって回復したところが大きい。
自民党幹事長の経験がある野中広務元官房長官は、「今の日本のあり方が本当に恐ろしい。マスコミもこの動きに追従しているのではないか。その裏側にアメリカの大きな力が働いているのではないか」と述べ、「戦争はやりません。憲法は変えません。その思いを新たにするきょうであってほしい」と安倍首相を批判いたしました。
野中広務元官房長官は、「今の日本のあり方が本当に恐ろしい。マスコミなどもこうした動きに追随しているのではないか。その裏側にはアメリカの大きな力が働いているのではないか」と述べ、「戦争はやりません。憲法は変えません。その思いを新たにする今日であってほしい」と安倍首相を批判しました。 また、古賀元幹事長は憲法問題について触れ、憲法改正の要件緩和の動きについて述べ、「絶対にやるべきではない。
例えばテレビ番組で、野中広務元官房長官は「銭勘定だけで、人間としての尊厳を認めていない」と述べておりますし、中曽根康弘元首相は「至急これはもとに戻して、新しくもう一度考え直す。そういう姿勢をはっきり早くとる必要があります」、こう明言しております。さらに、塩川正十郎元財務大臣や自民党の堀内光雄元総務会長も同様のコメントを新聞、雑誌に載せております。
野中広務元官房長官は「銭勘定だけで人間としての尊厳を認めていない」、また中曽根康弘元総理大臣は「至急これはもとに戻して、新しくもう一度考え直す、そういう姿勢をはっきり早くとる必要がある」と明言しています。それらのことを考えれば、この制度は中止・撤回してもう一度根本から始めるべきです。しかし、今回の常任委員会の審議では、「国が見直しをしているから」とか「もとに戻すと大変だ」とかの意見がありました。
しかし、その経世会、野中広務代議士の発言に共感を持つこともあります。 「議会議員というのは、本来、政府側に対してブレーキをかけ、ときにはアクセルを踏む役割のはずだ」と、これを「抵抗勢力」と言って、排除しようとする今の権力者がいます。
これに対して、自民党の野中広務元幹事長が、それでは何のために合併するのかわからないと、その矛盾をついたと、本日の北日本新聞に書いてありました。合併後に、旧自治体エリアの地域自治組織に議会まであるのなら、意思決定プロセスは通常の議会と二重構造になるとも言っています。今、権限を旧自治体に多く与えられれば与えられるほど、責任もついて回るのは当然ではないでしょうか。
このニュースは、京都府の園部町の野中町長さんであります。ちなみにこの町長さんは、自民党幹事長代理 野中広務氏の弟さんだそうでございます。兄弟で、この件で相当突っ込んだ意見を交わしたそうであります。話の中身はこういうことであります。 昨年から、園部町では町の事業の完工式などで配っていた記念品、これを商品券に変えたという話でございます。